ハンバートハンバート『虎』は苦しみと生きる事を教えてくれる【山月記】【考察】

 

こんにちわ、もちお(@mizumotio)です。

ハンバートハンバートの虎という曲のMVがYotubeにアップされています。

お笑い芸人で芥川賞作家でもある又吉直樹さんが友情出演していることでも話題になっています。

実はこの曲、2010年発表のアルバム「さすらい記」に収録されており、もともと特にシングルカットもされていない曲です。なのに、2018年7月23日発売の「FOLK2」というアルバムにて、リテイク版として虎は収録されています。

僕はこの曲が大好きなんです。幾度となくこの曲をライブで聴いてきても、幾度となく涙が出てきます。その理由はなんなのか考えてみました。

虎は現実から逃げたい人のための歌

まずは、虎のMVと歌詞に目を通して頂きたいです。歌詞はこちら

ぱっと聞くと、力強いピアノの伴奏から始まる壮大なバラードのようにも聞こえるでしょう。

ですが、歌詞をよく聞くと

「人や社会から隔絶された中でも、自分の納得のいく歌を作りたい。作りたいけど作れない。」

そんなことを歌っている曲だと気づくはずです。

以下は一部抜粋した歌詞です。このようなうまくいかない状況が続くと人はどうなっていくのか。

だめだ だめだ 今日はやめだ
メロディ ひとつ できやしない
酒だ 酒だ 同じことさ
昼間からつぶれて眠る

「昼間からつぶれて眠る」ことは、「現実を忘れ、逃げてしまいたい」を意味すると読み取れます。

「なんだ、現実逃避の歌ですか?」と思ったあなた、ちょっと待ってください。

この曲は、山月記を読むともう一段深く考察できると思うんです

山月記から読み取る虎の意味

中島敦の山月記という小説をご存知でしょうか。

「人間が発狂して虎になる」という逸話は中国ではポピュラーな話だそうですが、その「人虎伝」から着想を得た中島敦の小説です。あらすじは以下です。

主人公「李徴」は若くして官僚(科挙)になった成功者ですが、人付き合いは苦手です。
上司に気を遣うくらいなら、詩人になって成功してやるぞ、と思っているような人物。

ほどなくして「李徴」は官僚を辞め、詩人の道を歩みます。

しかし、年月が経っても成功しなかったんですね。仕方なく元職場に戻ります。
そこでは昔バカにしていた元同僚が出世し、彼らの命令に従わなければならない毎日が待っていました。「李徴」のプライドはズタズタです。

そんな一年後のとある日「李徴」は出張先で発狂してしまい、虎になってしまいました。
「尊大な羞恥心と臆病な自尊心により浅ましい人食い虎に身を落としてしまった」と虎の姿の「李徴」は語っています。

参考:リクナビNEXTジャーナル

ここで、「尊大な羞恥心」とは、恥をかかないように横柄な態度でふるまうこと。また、「臆病な自尊心」とは、自分が傷つかないことを極度に恐れること、と読み取れます。

李徴が虎になった姿を見た友人に、李徴は以下のように続けます。

一日のうちで、ヒトの心を持つ「自分」の時間と、トラになって意識のなくなる「俺」の時間がある。
どうやらトラとしての時間の「俺」は、乱暴なことをしているらしい。

最近では、「自分」の時間よりも、「俺」である時間が増えている。意識を持つ「自分」は、それを振り返るたびにとても苦しい。でも、無意識で過ごす「俺」はその苦しさがない。だからいつか、この「自分」が消えてしまえば、「俺」はしあわせなんだ。

参考:リクナビNEXTジャーナル

 

人間としての心を忘れつつある李徴ですが、自意識による苦しみから開放されるならばそれが幸せだと語っています。

ハンバートハンバートの虎は、この山月記の話と照らして、酒に溺れることで自意識による苦しみを忘れようとしている、と解釈できるのではないでしょうか。

酒に溺れることで苦しみから逃れられるか?

ハンバートハンバートに戻って、虎の歌詞を一部をみてみましょう。

人の胸の 届くような そんな歌が作れたら

負けた 負けた 今日も負けだ
光ることば 見つからない
酒だ 酒だ 飲んでしまえ
虎にもなれず 溺れる

「こんなはずじゃなかった」「もっとうまくできるはずだった」「でもダメだった」

そんなことが聞こえてきそうな歌詞です。自尊心により、もがき苦しむ姿はまるで山月記の「李徴」です。

「李徴」は最終的には虎になってしまい、苦しみから開放されました。

しかし、私達は残念ながら虎にはなれません。自分はただひたすらに自分のままです。

 

「できない自分」を「できるけどやらない自分、本当はできるんだけどね(^_^;」と解釈して(言い聞かせて)自尊心を守ることはできます。

それがハンバートハンバートの虎のサビで伝えたいメッセージだと思っています。

「ダメだ、ダメだ」と思うことで、安心している自分がいませんか?それは自尊心を守っているからです。ただ、結局はあなたは虎にはなれません。自尊心を抱える限り、苦しみから逃れることはできないんです

 

ハンバートハンバートはこんなにも深いメッセージを虎という曲に込めているのだと、僕は解釈しています。

「苦しみの中でどう生きるのか」を虎では投げかけている

又吉さんは虎のことを以下のように語っています。

“虎にもなれず”っていう歌詞が、苦しいっていうか、虎になってしまったらある意味社会の価値基準みたいなものモノの外に行けるんですけど、そうはならないから、その中でどう生きていくかっていうそこが苦しいんですけど、僕はそこに愛しさを感じるというか。この後どうなっていくんやろっていうことであったり、そういうことを考えさせてくれる曲ですよね。

引用元:CINRA.NET

この曲は最終的にはなんの解決策も提示しません。このまま自分がどうなっていくのか。この苦しみの中でどうやって生きていくのか。

ハンバートハンバートはそういったことを聴いている人々に投げかけているのかもしれませんね。

「さすらい記」と「FOLK2」の2つのアレンジの意味は?

この曲はもともと「さすらい記」に収録されていますが、実は「FOLK2」のバージョンとアレンジが大きく異なります。

「さすらい記」ではアコースティックギターと図太いベース、そして美しいフィドルの音色が響く力強く美しい曲でした。

一方で、いつの頃からか、ハンバートハンバートのライブで虎を演奏する際、佐藤良成さんがピアノのみで演奏するようなスタイルになりました。FOLK2のアレンジですね。繊細でいまにも壊れそうな心情がより色濃く表現されていると感じます。もしかしたらライブを通してこのアレンジに行き着いたのかも知れませんね。

また、深読みしすぎかもしれませんが、「さすらい記」の力強いアレンジは「李徴」の「尊大な羞恥心」を、「FOLK2」の繊細なアレンジは「李徴」の「臆病な自尊心」を表現しているようにも思えるんです。そう考えるとこの曲の深みがさらに増すような気がします。

まとめ

ハンバートハンバートの「虎」という曲を考察してみたという記事でした。

幾度となくこの曲を聴いてきても、幾度となく涙が出てくる理由はなんとなくわかった気がします。僕も苦しみから逃れられてないからなんでしょうね。笑

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以上、もちおでした〜!

 

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